この海の底には人魚が住んでいる。人魚は地上の若者に恋をして、その恋が叶わなかった哀しさに涙を流し、それが琥珀になって光り輝く。
白夜で沈まない陽の光が真夜中を過ぎても淡く明るいバルト海を船で旅した時に、その伝説を教えてもらった。
バルト海、琥珀にまつわる伝説の島「バルティア」王国が語源ともいわれるその海は、ヨーロッパの北に位置し、西はノルウェー、デンマーク、そこからドイツ、バルト三国、スウェーデン、フィンランドを過ぎ、東はロシアまで、海運で栄えた国や都市たちにぐるりととり囲まれている。
その沿岸には、かつても今も黄金色の琥珀が打ち上げられる。
だから、バルト海に面した町々へ行くと必ずといってよいほど「AMBER琥珀」の看板が掲げられたお店に出くわすことになる。大小形も様々で色も飴色から鮮やかなイエローまで異なる琥珀たちが、綺麗に磨き上げられて並んでいる。ペンダント、指輪、ブレスレット、ブローチ。珍しいのは虫たちや葉が閉じ込められている。私もなんだかすっかりつられて小さな琥珀を一粒買った。
一説よれば琥珀というのは、数千万年から数億年前の古代樹木の樹脂が、化石化したものなのだという。つまり、今、私の手の中には、恐竜たちが闊歩していたその脇で葉を茂らせていたかもしれない樹木の樹脂の欠片がある、というわけだ。しかも、それは、随分長い間バルト海の海底で、人魚が泳ぐのや、バイキングの船が行き来するのや、潜水艦が進むのを見ていたかもしれないと想像するだけで、長大な時間まで一緒に手にしたような荘厳な気持ちになる。
ちなみに、古代ギリシア人は琥珀を猫の毛皮で擦ると(静電気で)まわりのものが引き寄せられる不思議を知っていた。それはまわりのものだけでなく、幸運をも引き寄せると信じられたそう。そして琥珀=hlektronエレクトロンは、電気=electricityエレクトリシティーの語源にもなったのだとか。
琥珀自体は電気を通さない性質があるので、かつては実験装置の絶縁体としても使われていたということも、船旅の途中で立ち寄ったストックホルムの研究所で教えられた。
私は引き出しの奥から時折小さな一粒の琥珀を取り出してみては、バルト海を船旅のことを思い出す。海は内海なので殆ど波がなくて、眠りから醒めて窓の向こうに見るその海面は、いつも琥珀色に輝いていた。
Thanks to : 「TRANSIT」 No.30(euphoria FACTORY)「バルチック・クルーズ」、リーガル・プリンセス号