前回のこのコラム「コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.4 – ファインアートへのまなざし ヨーロッパ編」では、1950年代以降、ヨーロッパの動向を取り上げました。今回は、ヨーロッパの中でもとくに1960年代以降のオランダに着目します(前回の最後に、1950年代から60年代のオランダと予告しましたが誤りです。この場を借りてお詫びします)。
オランダは長くコンテンポラリージュエリー分野をリードしている国であり、複数の美術館がジュエリーのコレクションを抱え、コンテンポラリージュエリーの展覧会をたびたび開催しています。専門ギャラリーも早くから存在し、大学や大学院での教育も充実し、分野全体に広く影響を与える著述家も生んでいます。
その礎は、ここで見ていく時代に築かれたと言えるでしょう。このころ起きた変化は、オランダジュエリー史にまるで新しい風景を生み出したばかりではなく、その後のコンテンポラリージュエリー分野全体にまで影響を及ぼすものでした。
オランダでもファインアートからの影響はありました。たとえば第二次大戦後、ヘンリー・ムーア(1898-1986)やナウム・ガボ(1890-1977)らの彫刻の造形を取り入れた作家が構造的なジュエリーを作るようになっていきます。
その点ではアメリカやそのほかのヨーロッパ諸国と大きな違いはありませんが、オランダではもっと根本的な変化が起きていきます。その中心的人物が、ハイス・バッカー(1942-)とエイミー・ファン・リールサム(Emmy van Leersum)(1930-1984)です。バッカーはジュエリーの枠を超え、インダストリアルデザイナーやドローグ・デザインの創始者としても広く知られています。
人体の造形を足掛かりに
バッカーは学生時代、のちに妻となるリールサムと意気投合します。卒業後にスウェーデンへの留学を経て、帰国後はときにリールサムとの連名で作品を発表するようになっていきます。ふたりは造形要素のひとつひとつに理由がある合理的で無駄のない構造を目指し、ステンレススチールやアルミニウムを好んで用いました。
ふたりの仕事のポイントは、ジュエリーの特質である身につけるという行為に着目し、人体の造形に立脚した作品を作ろうとしたことです。これはジュエリーに「身体性」の概念を持ち込んだと言い換えることもできます。
1960年代後半、その考えを体現する作品が精力的に制作され、1967年にはアムステルダム市立美術館でファッションショー形式のイベントが開催されます。流行のメイクを施したモデルにジュエリーをまとわせたこの発表会は、ファッションとジュエリー、アートとデザインをつなぐ画期的なものでした。
このとき出品されたバッカーの作品、『ストーブパイプ』のネックレスやブレスレットには(冒頭の写真の作品です)、リールサムとの考え方の違いを見ることができます。美術史家でキュレーターのイダ・ファン・ジール(Ida van Zijl )(1948-)によれば、バッカーはこの作品で工業素材もジュエリーになりうることを示そうとしたのではなく、ジュエリーの限界に挑戦したかったのだと言います。
つまりバッカーにとっては、作品に込めたメッセージが明確に伝わることが重要でした。それに対しリールサムは、服や人体と調和するジュエリーを目指しました。その背景には、もともとファッション好きで、市販のジュエリーに飽き足らなかったことでジュエリーの道に進んだという経歴があるかもしれません。
オブジェを身につける – 既成概念の刷新と伝統への反抗
1969年「Objects to Wear(身に着けるオブジェ)」と題された展覧会がオランダで開催され、その後アメリカに巡回します。この展覧会には、バッカーとリールサムのほか、ニコラース・ファン・ビーク(Nicolaas van Beek)(1938-)、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ(Francoise van den Bosch)(1944-1977)、ベルンハルト・ラメリス(Bernhard Laméris)(1942-)が参加しました。
参加作家は宝飾細工や銀細工の伝統への反発を示し、アルミや銀などを中心に、簡潔で大ぶりな造形を交えて時代精神を表現しました。これはこの5人に限った話ではなく、当時のオランダジュエリーシーン全体で支配的な傾向だったと言われています。
美術史家で著述家のリズベット・デン・べステン(Liesbeth den Besten)(1956-)によれば、新時代の作り手はゴールドスミス(宝飾細工師)の呼称に代わって「ジュエリーデザイナー」を名乗り、貴金属による一点ものの贅沢品ではなく、手ごろな工業素材でシリーズ作品を作ることを目指したと言います。技術やスキルをないがしろにしたわけではありません。例えばバッカーは極めて高いスキルを持ち、ある時期までアシスタントにほとんど頼らずすべて自分で作っていました。
こうした一大変化は追随者を生み、一時期は形だけをまねた作品であふれかえったと言われています。同時にオランダ国内では、バッカーやリールサムをはじめとする前衛的なジュエリーが大々的にメディアに取り上げられました。
それは喜ばしいことですが、先のファン・ジールによれば、こうしたジュエリーが着目された要因には、当時のファインアート界やファッション界での流行との相性の良さがあったと言います。そのためジュエリー=装飾品という既成概念を揺るがすほどの大きなうねりを生むには至りませんでした。
異論と反論
バッカーとリールサムらには強力な味方もいました。オランダのキュレーター、カレル・シャンパーズ(Karel Schampers)(1950-)は、当時オランダアート界に大きな影響力とコネクションを持っていたビジュアルアーティストでデザイナーでもあったベンノ・プレムセラ(Benno Premsela)(1920-1997)が、アルミやステンレスなどのモダンでシンプルなジュエリーを強く支持すると同時に、ゴールドは時代遅れだとして一蹴したといいます。
こうした「大きな声」が支配的になっていった結果、貴金属、とりわけゴールドを使う作家の肩身が狭くなるという異常事態が起こり、中には一時的にジュエリーの制作そのものから遠ざかる作家もいました。
1974年には、ドイツで学んだオンノ・ブックハウト(Onno Boekhoudt) (1944-2002)、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ、マリオン・ハーブスト(Marion Herbst)(1944-1995)、カレル・ニーホルスター(Karel Niehorster)(1932-2003)、彫刻家のベーレント・ペーター・ホーゲン・エッシュ(Berend Peter Hogen Esch)(1945-2022)の計5名の作家がB.O.E.というグループを結成し、一部のジュエリーデザイナーを優遇する政府の方針に異論を唱え、プロセス重視の自由で多様な表現を尊重しました。
メンバーのひとりであるハーブストは1971年にシャワー用のホースを使ったブレスレットを作っています。一見するとバッカーの『ストーブパイプ』を思わせますが、バッカーらの仕事に異論を唱えたというハーブストの立場を知ったうえで両者を比べると、この作品の見え方が変わってはこないでしょうか。
また、ジャーナリストのGodert van Colmjon(発音不明)(1943-2009)は当時を振り返り、当時もてはやされたモダンなジュエリーは冷たく客観的で、対象である人を単なる「つけ手」に還元してしまい各人の個性に向き合うものではなかったと指摘しています。
ここで見てきた変革の重要性については否定しようがありませんが、その大きな波の陰にはこういったさまざまな意見があったことも忘れてはなりません。
次回は、国を超え20世紀半ば以降に花開いた新表現に目を向けていきます。
【参考資料】
Ida Van Zijl, Gijs Bakker and Jewelry, Stuttgart: Arnoldsche, 2005
Liesbeth den Besten, On Jewellery: A Compendium of International Contemporary Art Jewellery, Stuttgart: Arnoldsche, 2011
Ralph Turner, Jewelry in Europe and America: New Times, New Thinking, London: Thames and Hudson, 1996
Marjan Unger, Suzanne van Leeuwen, Jewelry Matters, Amsterdam: nai010, Rijksmuseum, 2017
関昭郎、ローイゼ・スカウエンベルグ『オランダのアート&デザイン新・言語』東京都現代美術館、2010
シャレル・エックス『ユウトレヒト・セントラルミュージアム所蔵 DROOG & DUTCH DESIGN展 現代オランダデザインの今 – プロダクトからファッションまで-』ユトレヒト・セントラルミュージアム、2000
Namita Gupta Wiggers, “Objects to Wear,” Benjamin Lignel (Ed.), Shows and Tales: On Jewelry Exhibition-making, California: Art Jewelry Form, 2015
Liesbeth den Besten, “Europe.” Damian Skinner (Ed.), Contemporary Jewelry in Perspective, New York: Lark Books, 2013
【参考ウェブサイト】(最終閲覧日はすべて2022年3月5日)
Gijs Bakker Design
https://www.gijsbakker.com/
Liesbeth den Besten, BOXED NAKEDNESS: EXPORT VERSUS BAKKER
Liesbeth Crommelin, Emmy Van Leersum: Lines and Patterns
https://www.ganoksin.com/article/emmy-van-leersum-lines-patterns/
The Gijs + Emmy Show
Liesbeth den Besten, BEREND PETER HOGEN ESCH, 1945–2022, The Last Member of BOE Participated in a Crucial Period of Contemporary Dutch Jewelry
【参考動画】(最終閲覧日はすべて2022年2月26日)
Robert Smit Ban on Gold SD
GIJS BAKKER – OBSESSED! Jewellery Festival 2021
※この連載は、以前このウェブマガジンに掲載されていた同タイトルの連載を大幅にお色直ししたものであり、その内容は2021年5月1日に開催されたコンテンポラリージュエリーシンポジウム東京のオンラインプログラム「コンテンポラリージュエリーの基礎知識」の講義に基づいています。
※このコラムのテキストおよび画像の無断転載や無断使用は固くお断りします。画像の取得においては、ハイス・バッカー氏、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団のご協力をいただきました。
※より詳しく知りたい人が検索しやすいよう、日本語での情報の少ない固有名詞は原文を併記しています。
これまでの「【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ」も、ぜひお楽しみください。