コンテンポラリージュエリーの世界で活動する作家さんを紹介していく本連載。
第1回となる「コンテンポラリージュエリーことはじめ vol.1 リサ・ウォーカー(前編)」では、展覧会レポートの形式で、ニュージーランドの作家、リサ・ウォーカーさんを紹介しました。
そして、ありとあらゆる素材をジュエリーに変身させるリサさんの作品が「ジュエリーであるということ」に着目してほしいと述べて締めくくりました。
では、「ジュエリーであるということ」とはどういうことなのでしょうか。ここでは、リサさんが2016年に制作した、子アヒルのはく製のネックレスを例にとりながら考えていきます。
このはく製は本物で、ニュージーランドのオークションサイト「Trade Me」で入手したそうです。リサさんは、今回の個展に向けたインタビューで「本物だからちょっと匂うのよね!」と笑いながら語っています。
この作品はネックレスなので、手に取って一体化することができます。そして、一体化したらきっと、それをつけた自分がどう見えて、どんな気分がするかというところまで、おのずと想像するのではないでしょうか。「臭い! 怖い! 嫌だ!」となるかもしれませんし、「意外と好きかも!」となるかもしれません。
では、同じはく製がオブジェやインスタレーションに使われていたらどうでしょうか。臭いや手ざわり、さらにそれと一体化した自分やそのときの気分まで想像するでしょうか。
つまり、ジュエリーと、オブジェや彫刻などの表現形態とでは、同じ「作品」でも意味が違ってくるのです。ジュエリーは体と密着するだけに、作品への自分の正直な反応をリアルにイメージさせてくれるともいえます。美術館での展示の場合、セキュリティの面からガラスケースに収められているため、実際に装着させてもらえることはめったにないですが、それでもジュエリーのかたちをしていることで、着けたらどうなるだろう? という想像力は刺激されます。
コンテンポラリージュエリーは、素材の可能性探しであったり、彫刻的な造形表現であったりと、そのスタイルはさまざまです。
コンテンポラリージュエリーがうまれた経緯や時期については諸説ありますが、一説によれば伝統からの解放だと言われています。1950年代から60年代、作り手は、貴金属や宝石をつかった決まりごとの多い宝飾品と一線を画す、もっと自由な制作をめざしました。とくに若手は、自分たちの世代の感覚に合うジュエリーを必要としてもいました。
それは、ジュエリーにつきまとう古いイメージを壊すということも意味しました。それでは今までにそういったイメージが一掃されたかというと、そうではありません。これを読んでいるみなさんも、ジュエリーについてこんなふうに思ってはいないでしょうか。
「ジュエリーはきれいでかわいいもの」
「ジュエリーは自分をうつくしくみせてくれるもの」
「接着剤の跡がはっきり見えるなんてもってのほか」
「ジュエリーはつけている時に邪魔になってはいけない」
リサ・ウォーカーさんは作品を通じて、こういったジュエリーの常識を次々にくつがえします(時には下の写真のような「お行儀の悪い」作品だって作ります)。そして、それを見た私たちは、何の疑問もなくそれらの常識を受け入れていたことに気づかされるのです。
ですが、いったんこれらの常識が取り払われると、一般的な「きれい」「かわいい」「正しい」などの基準が通用しなくなります。なにが正解か、だれも教えてはくれません。自分だけのものさしで、何がきれいで何がかっこいいのかを決めるのです。そのさい、世間一般では醜い、ださいと言って嫌われるものが、うんと心に響いてくることだってあるかもしれません。
それは「なんでもあり」とはむしろ正反対の「これじゃなきゃダメ」の領域です。リサさん自身も「素材選びにはとことんこだわる」と語っていますが、それは、作品を作る過程で「これじゃなきゃダメ」と思えるものをひとつひとつ見極めるからにほかなりません。
リサ・ウォーカーさんは、トップバッターを飾る作家さんにしては少し過激すぎたかもしれません。ですが「古い考えや常識を壊す」というコンテンポラリージュエリーのたいせつな側面を、力強く実践している代表的なアーティストだと思って取り上げさせてもらいました。
次回以降も少しずつ、コンテンポラリージュエリーの作家さんや作品を紹介していきます。
「Lisa Walker: I want to go to my bedroom but I can’t be bothered」
会期:2018.3.17 sun. – 7.22 sun.
会場:ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ
https://www.tepapa.govt.nz/
リサ・ウォーカー 公式ウェブサイト | http://www.lisawalker.de/