前回のこのコラム「コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.2 – コンテンポラリージュエリーに至る道のり」では、コンテンポラリージュエリーが置かれている枠組みと、誕生までの流れを見てきました。
今回は、アーツ・アンド・クラフツ運動を彷彿とさせるクラフト熱が高まり、ジュエリー分野でも数多くの才能が開花した、20世紀中葉のアメリカに目を向けます。
このころのスタジオジュエリー(スタジオクラフトの派生物としてのジュエリー *1)はモダニストジュエリーと呼ばれ、コンテンポラリージュエリーとは明確に区別すべきという声もあります。が、コンテンポラリージュエリーの分野形成上重要な動きであることにかわりなく、その歴史は合わせて語られるのが一般的です。
モダニストジュエリーは、シュルレアリスムと構成主義からの影響が強く見られるものの、キュビズム、プリミティビズム、抽象表現主義などモダニズムの名でくくられるあらゆる様式を無秩序に吸収し、さらにはネイティブアメリカンのジュエリーもたびたび参照されました。
宝飾品文化の伝統のないアメリカは、ジュエリー制作を学ぶ場が限られていました。そのため作り手を志した人たちは、歯医者に鋳造を習うなど、あれこれ工夫して技術を習得しました。戦後、退役軍人の身体機能回復プログラムに組み込まれたジュエリー制作の講習も教育面を下支えしたと言われています。
東海岸 – シュルレアリスト、サム・クレイマーの夢想世界
モダニストジュエリーを語る上で忘れてはならないのがサム・クレイマー(Sam Kramer)です。彼は、デフォルメさせた人物やアメーバ状の造形を得意とし、剥製に使われる目を時折使ってシュルレアリスムの世界をジュエリーで表現し、同時代の芸術とジュエリーとを融合させました。
クレイマーは自作を「ちょっとイカれた人たちのための奇想天外なジュエリー」と呼びました。そのエキセントリックなセンスはニューヨーク州グリニッチビレッジに構えた店舗兼スタジオにも発揮され、奇抜な服装で客を迎えて彼らを驚かせたと言われています。
学生時代にジャーナリズムを学んだ彼はそのスキルを宣伝に生かすだけでなく、多くの記事を書き残し、分野全体の振興に寄与しました。さらにはテレビやラジオ出演も果たし、レジェンドの異名にふさわしい存在感を多方面で発揮しました。
ほかにも東海岸で活動した作り手には、主にキュビズムとジャズ音楽をインスピレーション源としたエド・ウィーナー(Ed Wiener)(1918-1991)、この後で取り上げるアート・スミス(Art Smith)(1917-1982)らがいます。
西海岸 – 光と空間を操る構成主義者、マーガレット・デ・パッタ
モダニストジュエリーには、構成主義の影響が少なからず見られますが、中でも優れた作品を残したのがカリフォルニアを中心に活動したマーガレット・デ・パッタ(Margaret De Patta)(1903-1964)です。
彼女は作り手として活躍しただけでなく、仲間とサンフランシスコ金工芸術協会を立ち上げスタジオジュエリーの振興にも努めました。
デ・パッタの特徴は、空間を生かした構造的な作風にあります。その契機となったのはラースロー・モホイ=ナジ(1895-1946)との出会いです。ナジはドイツのバウハウスの教授でしたが、ナチス台頭後アメリカに亡命し、バウハウスの方針を受け継ぐ教育機関をシカゴに設立します。
ナジの考えに感銘を受けたデ・パッタは1940~41年に彼のもとで学び「石を空中で捕獲せよ。宙に浮かせよ。閉じ込めてはならぬ」という教えを受けます。
石が金属の支えから解放されたかに見える作品は彼女の代表作ともいえ、ナジの教えが完璧に実践されています。著作権の都合上ここには掲載できませんが、カリフォルニア・オークランド博物館のウェブサイトで作品を見られます。
ほかにも鋳造技法に注力し教師でもあったボブ・ウィンストン(Bob Winston)(1915-2003)、下の作品の作者であるメリー・レンク(Merry Renk)(1921-2012)らも西海岸で活動し、デ・パッタと同じく金工芸術協会の創立メンバーでもありました。
ファインアーティストとジュエリー
1920年代以降、一部のファインアーティストがジュエリー制作に挑戦するようになります。このようなジュエリーはアーティストジュエリーとも呼ばれ、40年代から50年代にはスタジオジュエリーと急接近し、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などで両者のジョイント展が開かれました。
わけても特筆すべきは、彫刻家にしてモビールの考案者、アレクサンダー・カルダー(1898-1976)で、主にワイヤーワークで彫刻的なジュエリーを作りました。彼の作品も著作権の都合上掲載できませんので、カルダー財団のウェブサイトで見てみてください。
カルダーが同時代そして後世のジュエリー作家に与えた影響は計り知れず、ジュエリー史家のトニ・グリーンバウム(Toni Greenbaum)は「広い意味では、その後のアメリカのスタジオジュエリーのほぼすべてにカルダーの影響を見て取ることができる」と評しています。
その理由は、ジュエリー=貴金属で精巧に作られた贅沢品という概念を覆す作風、ファインアートとアプライドアートを区別しない制作態度などさまざまに考えられます。
また技術の面で高みを目指しづらかったアメリカスタジオジュエリーにとって、カルダーが使う技法がシンプルで原始的なものであったことは、大きな意味を持っていたといえるでしょう。
ファインアート界ではほかに、自身の絵画の世界をそのままジュエリーで表現したサルバドール・ダリ、日用品をジュエリーにしたアンニ・アルバースらもジュエリー表現の新境地を開きました。
その後もジュエリーを作るファインアーティストが出てきますが、スタジオジュエリーとの接点は薄れていきます。その理由として、ファインアーティストのジュエリーへの関心が長続きしなかったという説が良く挙げられます。
その中にあってカルダーは長く作り続け1800点超ものジュエリーを残し、ほとんどのファインアーティストと違って、作りを職人にまかせずすべて自分で作りました。
モダニストジュエリーはその雑多性ゆえ、ひとつの様式として完成するには至らなかったといえるかもしれません。が、その作り手は皆、今という時代をどうジュエリーで表現すべきかという現代に通じる課題に向き合っていたのです。
その後、アメリカのジュエリー分野は教育の拡充や諸外国との交流を受けさらなる発展を遂げますが、その礎を築いたのが、モダニストジュエリーであったのです。
次回はヨーロッパの動向を見ていきます。
【脚注】
*1 ここではキュレーター、ケリー・レクエ(Kelly L’Ecuyer)による定義に準拠しています。
【参考資料】
Toni Greenbaum, Messengers of Modernism: American Studio Jewelry 1940-60, Paris/New York: Flammarion, 1996
Toni Greenbaum, Sam Kramer: Jeweller on the Edge, Stuttgart: Arnoldsche Art Publishers, 2019
Ralph Turner, Jewelry in Europe and America: New Times, New Thinking, London: Thames and Hudson, 1996
Graham Hughes, Modern Jewelry: An International Survey 1890-1964, London: Studio Vista Ltd, 1964
Glen Adamson, Thinking through Craft, London/New York: Bloomsbury Academic, 2013
Philip Morton, Contemporary Jewelry: A Craftsman’s Handbook, New York: Holt, Rinehart and Winston, inc., 1970
Ursula Ilse Neuman, “Margaret De Patta: Pioneer of Modernism,” metalsmith, vol.32/no.1, 2012
Jeannine Falino, “”Diamonds Were the Badge of the Philistine” Art Jewelry at Midcentury,” metalsmith, vol.31/no.5, 2011
※この連載は、以前このウェブマガジンに掲載されていた同タイトルの連載を大幅にお色直ししたものであり、その内容は2021年5月1日に開催されたコンテンポラリージュエリーシンポジウム東京のオンラインプログラム「コンテンポラリージュエリーの基礎知識」の講義に基づいています。
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※より詳しく知りたい人が検索しやすいよう、日本語での情報の少ない固有名詞は原文を併記しています。
※今回のコラムの執筆にあたっては、トニ・グリーンバウム氏、チコ・クレイマー氏、Arnoldsche Art Publishers、ジョー・ゴールド氏による協力をいただきました。
これまでの「【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ」も、ぜひお楽しみください。