前回のこのコラム「コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.1 – コンテンポラリージュエリーって何?」では、コンテンポラリージュエリーの全体像を大まかに紹介しました。
今回はコンテンポラリージュエリーが生まれるに至った経緯とともに、コンテンポラリージュエリーひいてはジュエリーが置かれているアプライドアートという枠組みを見ていきます。ここを理解することはとても重要です。
なぜならアプライドアートという立場への向き合い方が、コンテンポラリージュエリーのアイデンティティの形成に大きく関わっているからです。それについては最後に述べますので、まずはアプライドアートが何かというところから見ていきます。
ファインアートとアプライドアート
アプライドアートはファインアートとセットで理解する必要があります。ファインアートは純粋芸術と訳され「純粋」に芸術性を楽しむ芸術をさし、造形物ではもともと彫刻・絵画・建築が含まれました。対するアプライドアートは応用芸術と訳され、ファインアートの表現を実用品へ「応用」した格下の芸術とみなされ、セラミックや木工などに加え、ジュエリーもそこに含まれます。
ファインアートは主に視覚を通じて鑑賞するもの、アプライドアートは手に取り使われるものと考えることもでき、各自には以下のような性質やイメージが結びつけられてきました。
ファインアート(純粋芸術)
・アーティスト
・鑑賞性
・発想、インスピレーション
・自律性(単体で成立する)
・高尚、非日常
…など
アプライドアート(応用芸術)
・職人
・実用性
・スキル、技術
・合目的性
・世俗、日常
…など
両者の区別と序列の歴史は諸説ありますが、ここではラリー・シナーの『The Invention of the Art: A Cultural History』(未邦訳)に沿って進めます。シナーによればルネサンスの時代(1350-1600年ごろ)、将来ファインアートに類されることになる、絵画や彫刻など一部の芸術分野を特別視する兆しが見えはじめたといいます。
それは時間をかけて制度として社会に浸透していき19世紀には決定的なものとなりました。分野の断絶と序列はそれぞれの制作者にもあてはまり、作り手は、才能あふれるアーティスト(ファインアート)と、技術を行使する職人(アプライドアート)に分けられていき、職人は格が下とみなされるようになります。
工業化が進み多くの手仕事が機械にとって代わられるようになるとその傾向はますます強まりました。それはまた、ファインアートが特別で神聖なものとして美術館などへ収められ、人びとの生活から切り離されていく過程でもありました。
アーツ・アンド・クラフツ運動
ファインアートとアプライドアートの分断に立ち向かう動きもありました。その代表的な例のひとつが、主に装飾家のウィリアム・モリス(1834-1896)が率いたアーツ・アンド・クラフツ運動です。
19世紀終盤に起きたこの運動では、粗悪な工業製品に抵抗し職人の尊厳を取りもどそうとしました。これは生活に美を取りもどし諸芸術間の序列をなくそうとする試みでもあり、さらには「万人のための芸術」という理念のもと、美術工芸の枠を超え社会の変革をも視野に入れていました。
この運動の精神は、装飾性の高い植物パターンの壁紙やテキスタイル、機能と美を兼ねそなえた家具などに表れています。その影響はジュエリーにもおよび、ファインジュエリーや量産品とは違い、高価すぎない素材を使いつつも、手仕事の風合いと創造性を重視した品が作られました。
アーツ・アンド・クラフツ運動の遺産はさまざまにありますが、そのひとつがスタジオクラフトです。スタジオクラフトはモリスらが掲げた理念の一部を受けつぎ、個人+手仕事による作品制作を重視しました。そして、スタジオクラフトの一分野という面を持つコンテンポラリージュエリーも、広い視野でとらえると、アーツ・アンド・クラフツ運動の落とし子と考えることができます。
アール・ヌーヴォーとルネ・ラリック
アーツ・アンド・クラフツ運動から派生した動きに、ヨーロッパを中心に起こったアール・ヌーヴォーがあります。鞭打つようにうねる曲線や非対称の意匠を得意とする装飾性の高い様式で、建築や室内装飾、ポスターなどさまざまなメディアを通じ社会や生活に浸透しました。諸芸術間の序列を壊し生活と芸術の融合をめざした点はアーツ・アンド・クラフツ運動と共通していますが、アール・ヌーヴォーはエリート主義で富裕層向けのぜいたく品でした。
ジュエリーで卓越した手腕を発揮したのはルネ・ラリック(1860-1945)です。素材自体には大して価値のない準貴石や七宝などを使い、女性像や虫、風景などを多用した独創的なスタイルを築きあげました。
ルネ・ラリックがコンテンポラリージュエリーにいかほどの影響をおよぼしたかは意見が分かれるところですが、その同時代性と、素材よりも芸術性が高く評価された点は後世のロールモデルともいえ、近現代のジュエリー史を語るうえで無視することはできません。
とはいえ、19世紀から20世紀への転換期のジュエリーを語る際、彼ばかりにスポットライトが当たっているきらいがあるようにも思われます。先に挙げたジョージー・ガスキンをはじめ、ジョージ・ジェンセン(1866-1935)、チャールズ・ロバート・アシュビー(1863-1942)らの優れたデザイナーや工芸家の存在も忘れてはなりません。
コンテンポラリージュエリーの位置づけ
これらの運動や様式において、ファインアートとアプライドアートは接近したかに見えましたが両者間の壁は消えませんでした。
やがてファインアートは絵画や彫刻の域を超え、その価値観に見あうかぎりにおいて一切合切の表現物をのみこんでいきます。すると「ファイン」を取り払った「アート」の呼称も広まっていき、ファインアート対アプライドアートは時にアート対クラフトと言い表されるようにもなります。
肥大したファインアートは一部のアプライドアート作品をも取り込んでいくようになりますが、社会の制度や人びとの通念に深く浸透した分断の概念はそうかんたんに払拭できるものではありません。
コンテンポラリージュエリーの目指したひとつは芸術表現(ファインアート)たることです。が、アプライドアートという身の上は変えられません。そのためアイデンティティを確立するうえで常に葛藤を抱えてきました。そしてその葛藤と向き合いながら生まれた多くの作品が、コンテンポラリージュエリーという分野を特徴づけてきたのです。
次回は1930年代以後のアメリカを舞台にその例を見ていきます。
【参考資料】
Larry Shiner, The Invention of Art, Chicago and London: The University of Chicago Press, 2001
Elyse Zorn Karlin, “Early Twentieth-Century Jewelry,” Damian Skinner (Ed.), Contemporary Jewelry in Perspective, New York: Lark Books, 2013
R. コールマン『仕事という芸術 – モリスの夢、ダイダロスの復権』里深文彦監修、柳坪葉子訳、アグネ承風社、1997年
ジョーン・エヴァンズ『ジュエリーの歴史 ヨーロッパの宝飾770年』古賀敬子訳、八坂書房、2004年
スティーブン・エスクリット『岩波 世界の美術 アール・ヌーヴォー』天野知香、岩波書店、2004年
※この連載は、以前このウェブマガジンに掲載されていた同タイトルの連載を大幅にお色直ししたものであり、その内容は2021年5月1日に開催されたコンテンポラリージュエリーシンポジウム東京のオンラインプログラム「コンテンポラリージュエリーの基礎知識」の講義に基づいています。
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