Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)インタビュー – 前編

2025.2.28

大胆でエレガント、そして自由なスタイルを叶えるジュエリーとして、世界中のジュエリーラバーを魅了している《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》。ブランドのアイコンである「ギャラクシーリング」は、一度見たら忘れられないユニークなデザインが特徴です。

2024年にはニューヨークとロサンゼルスに新店舗をオープンし、日本でも新作を発表するなど話題の尽きない《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》。

今回はデザイナーであるイヴ・スピネリ(Yves Spinelli)とドワイヤー・キルコリン(Dwyer Kilcollin)のお二人に、これまでの歩み、ブランド、そしてお二人のプライベートまでお伺いしました。

スピネリキルコリンまでのあゆみ

イヴ・スピネリ(Yves Spinelli)とドワイヤー・キルコリン(Dwyer Kilcollin)夫婦によるブランド《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》。

ジュエリーの世界を歩んできていたお二人が、タッグを組んでブランドを立ち上げたのか思われがちですが、それぞれの歩んできた道は意外なものでした。

イヴ・スピネリ(以下イヴ):
私は90年代にロサンゼルスへ移り、ファッションのセレクトショップとして有名な「マックスフィールド(Maxfield)」でのキャリアをスタートしました。

マックスフィールドは、幼い頃の父との思い出の場所。店内でエルトン・ジョンと並んで、ヨウジヤマモトの服を買っていた父の姿を見て、「世界で一番素敵な店に違いない!」と思ったのです。

私はもともとユニークなファッションが大好きで、マックスフィールドには数々のアイコニックなブランドが揃っていたのも、働くことにした理由の一つです。

マックスフィールドでは、たとえ売るのが難しいとしても、デザイナーのビジョンを最もよく表現するアイテムをコレクションから厳選します。例えば、あるシーズン、ワックス加工された包装紙で作られたドレスのコレクションが発表されました。バイヤーはこの商品を見て「これは売るのが難しい」と言いましたが、オーナーは「これはデザイナーのビジョンを表現している作品で、それこそが重要だ」と言い取り扱いを決めたこともあります。

働き始めた当時私はまだ若かったので、まずはレジ係からスタート。12年間働き、最終的にはセールスパーソン、そしてストアマネージャーになりました。

ドワイヤー・キルコリン(以下、ドワイヤー):

その頃私は、彫刻家として活動していました。私の作品はセミ・アブストラクト(半抽象的)なスタイル。一つ一つの作品で、都度、新しい素材の可能性や革新的な制作プロセスを探求することを大切にしていました。

特徴的と言われるレリーフ彫刻は、とても薄い面を何層にも凝縮した作品。砕いたガラスや砂、珊瑚の破片、石などを樹脂と混ぜ合わせて制作するので、とても大変で、手間のかかるアート作品でした。

ドワイヤー・キルコリンの作品
ドワイヤー・キルコリンの作品

アメリカやヨーロッパのアートフェアに出展。イヴと共にスピネリキルコリンを始める前は、ニューヨークやカリフォルニアで個展も開く一方で、アートギャラリーや映画・テレビのプロダクションデザインの仕事にも携わっていました。


同じクリエイティブな世界とはいえ、異なるジャンルで活躍していた二人が、出会い、《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》を始めることを決意され、それぞれのキャリアを終える決意をされます。

お二人はどんな風に出会い、何をきっかけに《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》を立ち上げることになったのでしょうか?

ドワイヤー:

実は私たち、出会ってすぐ恋に落ち、いつでもずっと二人で一緒にいたいと思ったんです。最初の頃から、一緒に仕事をしようとも考えていました。

先ほどもお話ししましたが、イヴはマックスフィールドで働き、私は彫刻家として活動する一方で、アートギャラリーや映画・テレビ、いわゆるハリウッドでも働いていました。でも私はやっぱり自分で、クリエイティブな道を追求するほうが性に合っていると感じていました。

イヴは素晴らしい人柄と豊富なセールス経験を持つ人。私たちは二人で一つ、お互いの才能を完璧に補完できると思ったのです。

ちょうどその頃、イヴがお父様と最初のリングをデザインしていました。それが本当にユニークで、大きな可能性を秘めていると確信し、そのデザインを基盤に会社を立ち上げ、将来をかけることに決めました。

スピネリキルコリンの飛躍

お二人が《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》を立ち上げたのが2010年。

そこからは怒涛の勢いで世界中にファンを拡大していった印象がありますが、《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》が大きなブランドへと成長したと実感した瞬間は、お二人の中ではいつなのでしょうか?

イヴ:

2015年が転機の年でした。その頃、ブランド設立から約5年が経ち、私たちは取り扱いのあったバーニーズニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)で最も売れるジュエリーブランドのひとつになっていました。

US版「VOGUE」にも特集され、アメリカのみならず、日本やロンドンでの展開にも成功しました。世界中の人々が私たちのデザインを身につけてくれていると考えると、驚きと感謝の気持ちでいっぱいでした。そして、「私たちの可能性は無限かもしれない」と感じたんです。

お二人が感じた「無限の可能性」が今の《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》を作り上げ、その自由で開放的なデザインや着用スタイルが支持を受けていますが、実際にジュエリーをデザインする際の具体的なプロセスや、素材の組み合わせに対するアプローチも、自由で奇抜なものなのでしょうか?

イヴ:

私たちは”連結するサークル”をモチーフに、ミニマル且つ、物事の本質をとらえることを大切にデザインしています。

追求しているのは「ミニマル」と「本質的」という点に絞っているものの、それでもそこから生まれる多様なバリエーションや組み合わせに、時に圧倒されることがあります。

ですので、デザインし、サンプルを作り、話し合い、細部を調整するというプロセスを丁寧に繰り返します。

ミニマルデザインにおいては、微妙な変化がデザイン全体に大きな影響を与えるので、細部の作り込みがとても重要なのです。

ロサンゼルスの工房で、全て手作りで作ることにもこだわっていることでも有名な《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》のジュエリー。イヴが語る、”微妙な変化”や”細部への作り込み”をする上で、顔の見えるチームで、お客様の手に届く瞬間までを大切にしていることがわかる映像もいただいたのでぜひご覧ください。

フォーカスされている「ミニマル」というのは日本文化にも通ずる側面でもあり、私たち日本人には響く美意識の一つ。最後に、デザインや制作をする上で、日本文化や美意識について、どう感じているかも伺ってみました。

イヴ:

私はホノルルで育ち、日本文化に触れる機会が多くありました。ですので、一個人として、日本のミニマルで緻密な職人技や思想には深く共感しています。

デザイナーとしては、マックスフィールドでも取り扱いのあった日本の偉大なデザイナーたちに影響を受けました。特に、川久保玲さんのコムデギャルソン(Comme des Garçons)からは大きなインスピレーションを受けています。

コムデギャルソンは多様な美学や価格帯を持ちながら、一貫したブランドイメージで、幅広い年齢層の顧客を魅了していました。10年前にデザインされたアイテムも今なお新鮮で、さらに、裏返しや前後逆に着用できるなど、コンバーチブルな要素があるものもありました。どんなディテールも細かく計算されていて、非常に考え抜かれたデザインでした。


異なる歩みをしてきたイヴ・スピネリ(Yves Spinelli)とドワイヤー・キルコリン(Dwyer Kilcollin)が互いに惹かれ合い、その才能を補完して生まれたブランド《Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)》。

その自由で豊かなデザインは、「ミニマル」で「本質的」な点を追い求め、丁寧なプロセスと細部の作り込みを徹底した結果から生み出されていました。

「Spinelli Kilcollin(スピネリキルコリン)インタビュー – 後編」では、お二人のプライベートな面にも迫っていきます。


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